人生が昇段審査だと思えばこそ

人生が昇段審査だと思えばこそ

柔道の昇段審査は、一定の修行期間が設けられています。
例えば弐段を取得すると、次の参段を取得するまで、二年間の修行期間を必要とし、その二年が経過すれば参段の昇段審査を受けられます。

以前にもお話しましたが、単に強いだけではなく、強さに応じた人格を磨くためであると僕の中では考えています。
社会に出てからというもの、ふと思い返せば、人生そのものが昇段審査に似ているように感じることが多々あります。
別段キャリアアップとかそう言ったものではないのですが、自分が苦悩している瞬間、「あ〜これって修行なんだな!」って思い感じることがあります。
とある方に「もっともっと今を悩み、苦しめ」と激励の意味で言われたことがあります。
他の方には「まだ、行ける」と。
今まさに修行の身にて、これを乗り越えて行ければ、晴れて昇段する訳であると、自身に言い聞かせています。
果たして今の自分は他者から見ると、白帯!? 茶帯!? 黒帯!? いずれなのでしょうか!???
そして、どの帯色でも共通した大切な事があります。
礼に始まり礼に終わり、基本をしっかりと大事にすること。
でも、ふとした瞬間に上記を失念していることも^^;
これは「教育的指導」ですね、、。。
さて、こんなことを書いていると柔道の昇段審査で、とあるシーンを思い出します。
僕は傍で観戦している側だったのですが、試合で一方が相手に対し完全に腕十字が決まり、躊躇なく関節を極めに行っていました。
やられている方は、声をあげながらタップしていましたが、約数秒間、審判が完全に極まって、完全にタップしているのか両者近くへ移動して見極めていました。その間にも腕は極まって行きます。
やがて審判は正式にタップを認め、試合を止めましたが、やられていた側は、ずっとタップをしていたのに何故すぐに試合を止めなかったのかという表情がもろに出ていました。そして恐らくは腕の関節を少し痛めてしまっている様子で、全治一ヶ月半ぐらいでしょうか。
そして終了にて互いに礼のとき、すねた表情と適当な礼でさっさと退場しようとするその姿に審判は激怒したのです。
「なんだ、その態度は!」っと、もの凄い剣幕でした。未だにここまで怒れる人がいるのかと思うぐらいに。
武道家なら武道家らしく、例えどのような状況でも礼を怠ることは、許されることではないようです。
さて、これが社会であればどうでしょうか?
理不尽な試合は常に起こる訳で、たんびにすねた表情や適当な態度は、返って状況を悪くするようにも思います。
そこをどこまでグッと堪えるか、常に試されているでしょうか。
そして個人的には、グッと堪え切ったとき、「勝った」と思うようにしていますが、果たして如何にやらで!!
判定は周囲の皆さま、そう審判員の方々に委ねるとしましょう!